イェェモン

イエモン、えぇもん、そのふたつについて。

2020.11.19 哲学カフェのアウトプット

知人らとZoomでオンライン哲学カフェをやりました。

 

 

①自分がどう思われるかを気にしなくなるには?

 

わたなべ:
話したいことを話せる場所が少ない

 

Hさん:
話したいことを話せる土壌をつくりたい
(例)政治の話 など、職場でも誰とでも

 

上記の点では、わたなべとHさんで共通していたが、異なる点があった。自分は、知らない人とあまり話せない(話したいとは思っている)。相手にどう思われるかを、すごく気にする。Hさんは、知らない人とも話したい。たとえば職場で会う人で話したことない人、スーパーの店員さんなど。Hさんは、僕より年上。「自分がどう思われるかを気にしなくなる」と言っていた。

 

問いがうまれた。自分がどう思われるかを気にしなくなるために、不要な自意識を捨てるには、どうすれば良いのだろうか?年を重ねるだけ?

 

会話の中で「人の顔色を伺う」=「自分がどう思われるかを気にする」なのか?ということが挙がった。話を進め、この2つは違うということで、参加者の意見が一致した。人の顔色を伺うということは、グループの中での共生に意識が向けられている。相手や集団にフォーカスされている。それに対し、自分がどう思われるかを気にするということは、自分に意識が向けられている。自分にしかフォーカスされていない。

 

Hさんは、自分がどう思われるかは気にしなくなったが、人の顔色は伺うとのことだった。

 

自分がどう思われるかを気にしなくなるためには。自分の形がハッキリわかれば、自分に意識を向ける必要がなくなり、相手に意識を向けることができるようになるのではないか。問いに対する答えが、会話の中で導き出された。

 

Hさんは、昔は、自分がもともと思っていたイメージと、実際の自分はズレていたなという経験があったと言っていた。自分の形は、他者との会話の中で見えてくるものなのだろう。自分の形はどうなのか、イメージと違っているか、いないか。このあたりを意識して他者との会話をやっていくことで形をハッキリとさせていけば、自分がどう思われるかを、いつかは気にしなくなっていくのではないか。そう思った。

 

 

②世間話に意味はあるか?雑談について

Hさんが、世間話に意味はあるか? ということを言った。例として、仕事が始まるまであと数分、同僚と過ごす時など。Aくんは「場をつないでいる」という意味がある、と言った。意味というか中身や目的がともわない雑談は、Aくんはどちらかといえば苦手だそうだ。○○について話す などのテーマがあった方が話しやすい とのこと。

僕は、仲が良ければ良くなるほど、中身のない会話を話しがちだ。会話からなにかを得ようとか、あまり思わない。会話そのものを楽しめればよく、必要なインプットは自分ひとりでやることが多い。会話に意味がなくても楽しめれば良い。もちろん中身のある会話も楽しいけど。


 

③会話で自分がいる意味

僕は、自分が思っていることを、誰にでも話すわけではない。どちらかというと、聞き役に回ることが多い。「そうなんですか!」「なるほどね」とこちらが相槌を打つだけでいいのであれば、相手の目の前にいるのは、自分じゃなくてもいい。人形だっていいんじゃないか。そう思う。相手の目の前にいるのが、僕でなければいけない理由があれば、僕は自分の話をしてみようと思える。Aくんも似たようなかんじだった。

Hさんは、相手は、自分と話そうとしている、話すという目的を持っているんだ と相手がそういう理由を持っていると考えれば、相手の目の前にいるのが自身である必然性がある と言っていた。だから誰とでも話せるのかもしれない。

 

 

④まとめ

Hさんはとても明るく、誰とでも話せる(ように感じる)。僕はそういう人を相手にすると、話しやすいし、自分の話をしてみたくなる。Hさんみたいになりたい。
そのためには、自分の形をハッキリ理解すること、相手に意識を向けること、そして相手が同調ばかり求めてくるような人(僕が苦手な人)であっても、自分がいる意味をつくりだすことで会話を楽しめるようになればいい。そう考えた。