イェェモン

イエモン、えぇもん、そのふたつについて。

良いコミュニケーションについて

f:id:usk_B:20191105041547p:image

 

人と関わり生活をするなかで、コミニュケーションが発生する。どうせなら良いコミニュケーションをとりたいものだ。良いコミニュケーションとはなにか。自分にとってそれは、アサーティブな会話ができること。「自分と相手を同等に尊重しながらも自身の意見や気持ちを適切に表現すること」Assertivenessという語は、このような意味を持つ。自分の言葉で言い換えるならば、自分も相手も話したいことが話せる、居心地が良い時間を互いが過ごせるように会話すること。これが自分にとって良いのコミニュケーションであると考えている。当たり前だけど、目の前の人と気持ちよく過ごしていたい。

 

より良い人間関係を築くための姿勢として、手持ちのアドラー心理学の書籍では、尊敬、信頼、協力、共感、平等、寛容の6つが挙げられている。

 

自分が一緒にいて、心地よいと感じる人とは、あんま難しいこと考えないで過ごせる人。そして無理しすぎないで過ごせる人。パッと思いつくのはこのくらいであるが、もっと考えてみる。

 

まず、相手に依存しすぎない姿勢の人といると心地よさを感じることができる。どちらかが愚痴を吐くだけ吐いて一方が聞くだけであったりすると、愚痴を吐く側が相手に依存し、自分の機嫌を相手に委ねることで負担をかけすぎているように感じる。愚痴を吐くな、という話ではない。

 

褒めたり褒められたりを、過度にやろうとしすぎると、疲弊するコミニュケーションとなる。

自分と相手を同等に尊重すること。アドラー心理学の書に出てきた6つ姿勢のひとつ、平等。これらが心地よい関係を生むために必要だろう。

 

相手に関心が持てる人、または互いに関心が持てるような話題を持ち出せる人といることでも、心地よさを感じることができる。多くのことに興味が持てる人、話題というより相手自身に興味が持てる人。たまに、自分が関心のあることのみ話す人がいるが、それは相手を観察する力と相手に関心を持とうとする姿勢が足りないように感じる。会話をする中で、探りながらになるが、自分が関心を持てる点を見つけだすことができるはずだ。

 

自分と相手が話しているバランスを常に考えることが自然とできている人といることでも、心地よさを感じることができる。自分の話だけ聞いてもらいたい人といると、疲れてしまう。相手を使ったオナニーのようなことをしている人を見かけることがあるし、出くわすこともある。他人はTENGAではない。

 

色々考えて書いてしまったけど、本当はもっと「ほへぇ〜」と過ごしていたい。会話する際に、実際自分はそこまで頑張ってないし、頑張りたくない。ほはぁー ホムンクルス〜〜

 

 

突拍子もなく、とあるツイートをちょっと引用したいっス。会話について、僕の友達が、面白いことをツイートしていたんです。

↓↓

f:id:usk_B:20191104230802j:image

 

f:id:usk_B:20191104230807j:image

 

f:id:usk_B:20191104230811j:image

 

f:id:usk_B:20191104230841j:image

 

笑いや、泣きなどの感情、そして共感が会話に必要だという意見を、彼は言っている(写真2枚目)。まったくもってその通りだと思う。

 

僕は10代後半、自分はコミュニケーションが苦手だといういう意識があり、地元の会話セミナー(レクリエーション)に行ったことがある。そこで初対面の人と会話した際、「ハキハキしていて良いが、事実や情報を伝えているだけで、感情の伴わないアナウンサーのような喋り方だと感じる。」という意見をいただいた。以来、自分のことを話す際に、感情を表す言葉を取り入れるようにしている。相手への話題に対する頷きの際も同様。感情を表す言葉を話にいれることで「共感」が生まれると僕は考えている。逆に、感情を伴わないことばかり話している人といると、つまらない(って思っちゃうな)。

 

ここまで、会話から生まれる心地よさについて考え、心地よさを生む人の特徴はこんなかんじだ、ということをずらずら列挙した。今度は、その逆を書いてみる。一緒にいて、居心地が悪い人。

 

・一緒にいて難しいことばかり考えてしまったり、無理を強いられる人

・相手に依存しすぎる人

・過剰に褒め合ったり、相手を上にみたり自分を下に見すぎな人

・相手に関心がない人

・双方が話すバランスを保てない人

 

先に挙げたことの逆をそのまま書いた。では、アドラーの書に出てきた、より良い人間関係を築くための6つの姿勢 の逆、つまり相手と悪い関係に陥ってしまうような姿勢とは何だろう?

 

尊敬→ 軽蔑

信頼、協力→ 不信、非協力的

共感→ 反感、ひとりよがり

平等→ 差別

寛容→ 狭量

 

こうなるだろう。

これから先、より周りの人と関わっていきたいと願うのであれば、矢印の先のどれかひとつでも満たしてはならない。自分を省みるためのチェックリストにも使えそうだ。

 

話を当初の流れに戻す。良いコミュニケーションについて。今まで書いてきた中で、ふと思いついたことがある。アドラーの書にあった6つの姿勢に、自分は勝手にひとつ付け加えたい。それは「誠実」だ(アドラーさん、すまんやで)。

 

誠実とは。

f:id:usk_B:20191105030913j:image

 

自分の利益ばかり考えている人と、付き合いたくはならないだろう。欲まみれの人によって、優しい人が一方的に搾取されるというのは、すごく嫌だ。しかし、世の中そういったことが社会的にも個人間でも蔓延っているように感じる。利益云々でなく、相手自身を見て、そのままの人を捉えて話せる誠実な人のことを、僕は信頼しているし、心から尊敬している。

 

 

 

ほあー 色々書きすぎた。

深キョンとデートしたい。

 

ここまでなんでコミニュケーションについて長い文章を書いたかというと、人付き合いの際、相手の傲慢さに最近残念な気分にさせられることが多く、せめて自分は傲慢でいることなく、相手と穏やかに過ごしたい、気持ちよくすごしたいなぁという思いがあり、一度自分の中でコミニュケーションについて考えを整理したかったからです。

 

自分は15歳以降、相手をバカにする人とは関わらないと心に決めて過ごしました。その分、周りから変な目で見られることや影で変なことを言われることもあって、精神的に病んだし考えもおかしくなって、まっすぐ歩けなくなったりした時期もありました。これは比喩表現でなく、本当にまっすぐ歩けなくなりました。そして、突発的に泣き出してしまうこともあった。もっと融通の効いた生き方をした方が良かったかもしれないけど、それでも、友達はたくさんできた。心から信頼できて今も仲が続いている友達がいます。

 

25歳くらいからは、相手を特定のキャラクターに閉じ込めたりする人と、距離を置くようにしました。例としては、いじられキャラとか、変態キャラ?とか。人は変化する生き物なのに、相手を◯◯キャラという型にはめる人、そのキャラでしか相手を見れない人とは、今まで仲が良かったとしても、キッチリ距離を置きました。

 

いまは、一緒にいて少しの「快」があっても、「不快」の方が強く感じる人と、距離を置くようにしています。我慢して相手といるのは誠実ではないから。

 

いろんなことを考えて、時に人と距離を置くこともあるけど、僕はいろんな人と関わって過ごすことが出来てます。

 

自分にとって一番の財産は、たくさんの人と関わることができた時間であったり、人そのものです。いろんな人が、たくさんの宝物のような時間や経験を、僕にくれました。僕はなんにもあげられていないのに。

 

★★

 

そんな人たちと、僕は、良いコミュニケーションが取れたらいいな と考えています。