イェェモン

イエモン、えぇもん、そのふたつについて。

居場所

まとまった話はできないんだけど、思うことをつらつらと書きます。

 

 

★受け入れられる人★

持論ですが、現実で誰からも受け入れられない人はネットでも受け入れられないと思う。現実もネットも居場所が違うだけ、極端な話、同じだと思っている。そして、受け入れられる人というのは、素直さ、見返りを求めない他者へのリスペクト、嘘をつかない、この3つが備わっている人だと僕は思っている。

 

 

ツィッターにて★

僕のネット上の友人に、同世代の女性がいる。普通に働いていて、趣味としてイラストをツィッター上で公開している人だ。その人が、最近旦那さんにツィッターをこそこそ見られていたことが発覚して、とても落ち込んだ ということを話していた。この件を受け、彼女はアカウントに鍵をかけた。

 

「リアルの知人には言えないことってあるじゃないですか、なんとなく考えたこととかもやっとしたこととかそのようなものを気兼ねなく呟ける場所がツイッターだったのに、ツイッターの中のわたしはいつもより少し背伸びしてたりでも本音を言えたりそんな所だったのにまさか夫にこっそり見られてたなんて。」

 

「見るなら教えてくれれば良かったのに。」

 

これもその人の言葉である。

 

ツィッターの使い方は、人による。現実の延長として用いる人もいれば、先に書いた彼女のように、実生活とは別の空間が欲しい という人もいる。それもまた居場所のひとつ。現実もネットもいる場所が違うだけで大事な居場所であり、どちらも快適に過ごせるようにしたい。

 

嘘は良くない。

だが、秘密はあって良い。

 

 

★NOZOKI部★

分からない人は、過去に書いた記事を読んでください(投げやり)。

 

NOZOKI部の部長、バサラは、高専四年の頃に、学生会長になった。持ち前のキャラから、交友関係が凄まじくあり、校舎や学生寮などの場所を問わず色んな人と喋っていた。

 

でも僕らにだけ見せる一面もあった。僕の自室に彼は無言で入ってきて、なにも喋らず過ごし、気が向いたら二言三言喋り、気が済んだら帰るということをしていた。気心が知れてるから、嫌でも気まずくもなんともなかった。むしろ居心地が良かった。

 

 

「じじいになったら、NOZOKI部や●●(NOZOKI部以外の仲が良い友人)と過ごしたい。じじぃにしか感じれない何かで、動画撮影とか創作活動をやりたい」

 

「馬が合うから友達、それでええやん」

 

これらは、彼のツィッターに書いてあったツイートだ。僕にも彼にも、NOZOKI部という、自然体で過ごせる居場所がある。僕らは27歳になった今も会っている。馬が合うから、今もこれからも、友達なのだ。

 

 

★居場所★

社会人になってから数年は、社外の友達が全くいなかった。毎日自室で鬱々と過ごしていた。僕が住んでいる長野市には、いくつかコミュニティーがあった。オシャレな店やオシャレな人たち、意識高めのたちが、なんだか楽しんでいるようだった。社外に全く友達がいなかった僕には敷居が高く感じて、足を踏み入れることができなかった。居場所が既にある人たちが、より楽しめるような居場所をつくっているように感じた。

 

2016年あたりから、僕は変わり始めた。

 

クリークスで勤めていたハタコシ君と会ったこと、クリークスでやっていたイベントでロクガワさんに会ったこと、ロクガワさんの友人のみんなに会ったこと、僕もロクガワさんみたいにイベントがやりたくなりハタコシくんに相談してイベントをやったこと、そのイベントで色々な人に会えたこと(リスペクトできる先輩にも出会えた)。こうした人の出会いや経験から、僕は色んな場所に足を踏み入れたり、居場所を作ることができるようになった。上田や地元上越にも繋がりができた。おどりば、愚痴聞き屋という、とびっきり素敵なサードプレイスにも出会えた。この前の休日は、友人と散歩をしたり、みんなで映画をみたりした。

 

僕の居場所は、自室や会社だけじゃなく、いろんな場所にできた。

 

★おわりに★

全然関係ないかもしれないけど、冬は自室でSNSをいじる人が多くなる。外寒いし。ネットも現実も居場所なんだけど、現実の方がリアルで五感で楽しめるから、現実の居場所で過ごす時間も作ろうよ。頑張らなくていいし、気か向いたらでいいから。